Jul 07, 2010
サッカーユニフォームで元気に。
先日、サッカーが大好きな先輩の誕生日、欧州サッカーのユニフォームを探してびっくりプレゼントしたんです。先輩は"今の健康をもらった"と非常に満足しています。もちろん、複製サッカーユニフォームはあったのですが、さすがにスポーツウェアですね汗を蒸発させる仕様になっていて、動きやすい立体縫製されているかでよくすることができるので、感心しました。私は独身時代にスポーツクラブに入っていたです。運動不足を解消するのにもストレス発散をするのもいいと思っていたので一人で参加しています。月会費を支払えば、月に何度使ってもいいものなので、最初はお得感がありました。しかし、仕事が忙しい時期と寒い時期は、スポーツクラブに行くことが面倒になってしまいます一ヶ月に一度も利用していない日もあり、無駄になったものもあります。
京都市北区上賀茂地域特産の賀茂なすを使ったジャムを農家と地元のイタリア料理店が作り、販売を始めた。出荷できない規格外のナスを有効活用する取り組みの一環で「大切に育てた野菜を無駄にせず、上賀茂地域の活性化につなげたい」と話している。
同地域で100年以上続く農家森田良彦さん(63)は約650平方メートルの畑で賀茂なすを生産している。変形したり傷がつくと規格外になり出荷できないため、廃棄することが多かった。味は変わらないのにもったいないと、イタリア料理店「Azekura」のシェフと相談しジャムにすることにした。
皮をむいて切ったナスに砂糖やレモンなどを混ぜ、食感を残すため強火で一気に炊きあげる。賀茂なす独特の触感と香りを生かすため、火加減や砂糖の量を決めるのに苦労したという。賀茂なすだけのプレーンと、ブルーベリーを混ぜた2種類ある。
店では、ハモやカモ、チーズなどのソースに使っているほか、瓶詰めを販売している。北大路商店街やゼスト御池の野菜直売所「京都の旬野菜『時待ち食』」にも置く。小瓶315円、大瓶840円。問い合わせは森田さんTEL075(712)4888。
京都市北区の立命館大国際平和ミュージアムで、企画展示「戦時下の食卓?朝・昼・晩」が開かれている。コメの代わりに麦や芋を使った代用食のレシピなど、戦争による食の変化を伝える資料が並ぶ。
雑誌「婦人倶楽部」に掲載された揚げ菓子など戦争初期の手の込んだ代用食のレシピ、配給の要項、「いなごあられ」の包装紙など、終戦に向かうにつれ食卓が困窮していく様子が分かる。
精米に使った米つき棒の体験や、映像学部の学生の作品「お米と戦争」も上映している。28日まで(月曜休館)。入館料が必要。
京都市東山区の清水寺境内で、岩手県の伝統工芸品「南部鉄器」の風鈴が、涼やかな音を響かせている。拝観者が、東日本大震災の被災地復興への願いなどを書いた短冊を見て、東北に思いをはせていた。
平安時代初期の武将で現在の岩手県を攻め込んだ坂上田村麻呂が清水寺の建立に深くかかわった縁から、昨年と今年、京都岩手県人会などが風鈴計250個を寺に寄贈した。
8月に入り、田村麻呂をまつる田村堂(重文)に約120個、本堂に通ずる回廊に約130個をつり下げた。短冊には、地元の開睛小と、南部鉄器の産地の盛岡市と奥州市の児童が「きれいな家が建てられますように」「早く笑顔で暮らせますように」など復興への思いをつづった。
県人会長の及川静衛さん(77)=上京区=は「自分の夢と復興への思いを短冊に書いてもらった。岩手との縁を感じてほしい」と話す。31日まで。
鹿屋市吾平町のJA肝付吾平町は1日、コシヒカリから品種転換したイクヒカリの出荷出発式をした。今月中旬まで続き、今季出荷量は約420トンを見込む。
同JAでは、07年からコシヒカリよりも倒伏しにくく、収量も多いイクヒカリを試験栽培。品質や収量のめどがつき、昨年から本格出荷している。
式は同JA農業管理センターであり、関係者がテープカット。約70人が約10トンを積んだトラックを拍手で見送った。福留昭信・同JA水稲部会長(75)は「今年も立派に実った。消費者に安心して食べていただける米を作っていきたい」と話した。【新開良一】
8月3日朝刊
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◇福島から
東日本大震災で、福島県川俣町から薩摩川内市に避難してきた菅野僚さん(29)が川内市医師会立市民病院に採用され、1日、同病院で辞令交付式があった。
菅野さんは、臨床検査技師などの資格を持ち、福島でも地元の病院に勤務。地震で自宅が一部損壊、川俣町も一部が、福島第1原発事故による計画的避難区域となっている。インターネットでのあっせんで5月から薩摩川内市で母と祖母と暮らしている。薩摩川内市が、避難者支援の一環として就職先を探していた。
菅野さんは「一家を支えないといけないのでこれで一安心。お世話になっている薩摩川内市の地域医療に貢献できるよう頑張りたい」と話していた。【宝満志郎】
8月3日朝刊
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