Aug 06, 2009
サッカーユニフォームで元気に。
先日、サッカーが大好きな先輩の誕生日、欧州サッカーのユニフォームを探してびっくりプレゼントしたんです。先輩は"今の健康をもらった"と非常に満足しています。もちろん、複製サッカーユニフォームはあったのですが、さすがにスポーツウェアですね汗を蒸発させる仕様になっていて、動きやすい立体縫製されているかでよくすることができるので、感心しました。同じスポーツクラブに複数回参加して、2回ともあまり通っていないまま脱退の経験があります。恥の生産もなく、同じスポーツクラブの第三登録をしたのですが、その加入後、7年間通い続けて成功しています。それも、平均週3日ペースを維持することです。秘訣は、参加することができるプログラムを見つけることが。一人でする教育ただ飽きてしまうのです。エアロビクスなどのプログラムに参加し、徐々に慣れて楽しめるようになっています。
河口湖のお盆の伝統行事「灯籠(とうろう)流し」が16日午後6時半から湖北岸の富士河口湖町大石公園で行われた。沖合から1300個、岸から450個の計1750個の灯籠が流され、湖面はほのかな光で彩られた=写真。
「灯籠流し」は同地区にある仏教教団真如苑・真澄寺別院で30年来行われてきた。07年からはだれでも灯籠流しができるよう「河口湖灯籠流し実行委員会」が発足し、行事を続けている。
参加者は先祖の慰霊や東日本大震災の復興への思いを書き込んで河口湖に灯籠を流していた。【小田切敏雄】
8月17日朝刊
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山梨県山中湖村で開かれている第23回ワールドジュニアソフトテニス選手権大会(ワールドジュニアソフトテニス協会主催、毎日新聞、文部科学省後援)の夏季大会は16日、団体戦に入り1次予選を行った。17日は第2次予選を行い、最終日の18日は決勝リーグ戦と決勝トーナメントが行われる。【小田切敏雄】
15日の個人ダブルス戦の優勝者は次の通り。
【中学1年女子】高禹宸・揚〓〓(台湾)【同2年女子】石井美有・北山明日香(玉川中・神奈川)【同3年女子】浦田知春・小林早紀(富士クラブ・静岡)
8月17日朝刊
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◆13歳の年に甲府空襲を体験−−上田愛子さん(78)
◇目覚めると誰の声も聞こえない。親族たちは白くなっていた
◇母や祖母に助けられた
1945年7月7日未明、甲府空襲の中、母の実家前を流れるどぶ川(川幅約2メートル)に逃げ込んだ上田愛子さん(78)=甲府市=たち親族11人。コンクリート製の橋(幅約2・5メートル)の下で、深さ約20センチの水中に寝転がった11人の上にも、炎と熱風が襲った。
どれくらいの時間がたっただろうか。上田さんは疲れ果て、眠っていた。
夢の中で、黒々としたひげの閻魔(えんま)大王が行列の一人一人に「アリを殺したか」と問いただしていた。上田さんの番になった。閻魔大王は「お前はアリを助けたので地獄に来なくていい」。そう言われたところで、目が覚めた。
夜が明けていた。火の気配はなかった。足を伸ばすと誰かの頭に触れた。誰の声も聞こえない。「皆死んでしまった」。かっこいい敬老の日5つの強み悲しみの感情は、わいてこなかった。「1人だけ生き残ったのなら、何でもいいから働いて生きていかなきゃ」
うとうとしていると、自分たちを捜す別の叔父の声が聞こえた。叔父に川から引き上げてもらう時、周りを見渡した。一緒に避難した親族たちは白くなっていた。死んでいた。叔父は慌てて誰かを呼びに行った。ぬれた服が冷たく、震えが来た。実家の前で、ただ、ぼんやりとしていた。突然、父が現れた。
父とは空襲が始まった後、甲府市中心部の自宅の近くで別れていた。家族は父の指示に従い、南甲府駅方面の母の実家に逃げた。実家には、がっちりした体格で威厳のある伯父がおり、父も普段から信頼していた。父自身は警防団の役目があるためとどまった。
空襲で死んだと思っていた父が、生きていた。うれしさと悲しみが入り交じり、感情が爆発した。父の首に飛びつき大声で泣いた。
父から家族の行方を聞かれ、「橋の下で死んでるよ」と答えた。父は半狂乱になり、「何で逃がしてくれなかったんだ」と叫んだ。頼りにしていた伯父への言葉のように聞こえた。この伯父も、上田さんと一緒に橋の下に逃げ、亡くなった。
父は終戦後しばらく、立ち直れなかった。上田さんは何度も「御岳(昇仙峡)で一緒に死のう」と言われた。しかし、生きたいのに生きられなかった皆のことを思うと、「死ねないよ」と断った。
やがて、長兄と次兄が復員。父も次第に気力を取り戻した。一家は、自宅があった焼け野原に再び家を建て、店を始めた。
* * *
先月18日、記者が上田さん宅をうかがった際、上田さんは、左腕のやけど痕をさすりながら「ここに、皆がいるような気がする」と涙ぐみながらも、「死んだ人の無念さを伝えてほしい」と語ってくれた。
灼熱(しゃくねつ)地獄の中、1人だけ生き残った生死の分かれ目について、当時を思い起こし、隣の母か祖母の着物の袖を自分の顔にかけたことを挙げた。「母や祖母のおかげで、熱風をしのげたような気がするんです」
上田さんは毎年7月7日、墓参りを欠かさない。「人間って強いんですよ。前を向けば一からやり直す力があるんです。秋のソファ@通販(12):を底上げ死んだ母や兄弟のことを考える度に、どんなつらいことがあっても頑張らなきゃって思います」【山口香織】
8月17日朝刊
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